家紋「武田菱」と、武田家についての補足

家紋 武田菱

 前回記事で、武田信玄入道晴信で有名な家紋「武田菱」をデザインに盛り込んだ、おしゃれでカッコいいオーダーメイド門扉(門・ゲート)の、デザインスケッチをご紹介しました。
 全体をして、上品かつ、上質、気品に溢れ、格式高く、おしゃれで、カッコいいデザインに仕上がったと書きましたが、それには「武田菱」自体が持つルーツやデザインのチカラに理由があると思っていますので、今回はその辺りを補足していきます。

 そもそも、「武田菱」と呼ばれる家紋は、数多くある菱紋の一種に過ぎません。また、天皇家でも使用しているように、武田家だけのものでもないのです。
 家紋の、いえ、文様のルーツをたどると、古代メソポタミア・エジプト文明辺りまで遡るそうです。それが、あらゆる文明と同じルートを辿り、中国を経て、日本にやってきたと。
 日本においては、縄文時代、土器の装飾に用いられるようになったことが、遡れる最古の起源のようですが、伝わってきた菱紋の文様を、その当時は、もしくは記録の残る程度の後世になってから、植物のヒシと解釈したのでしょう(その当時に、文様の解釈付きで伝来してきた訳ではありませんから、誰にもわからないのが本当のところだと思いますが)。
 その後、平安時代以降に、最初は公家文化として、次に武家文化として花開き、やがては庶民の間で拡がっていったのが、日本における独自の「家紋」文化です。
 家紋(文様)は、紀元前から世界中で脈々と受け継がれてきた文化だということがわかります。
 
 それでは話がガラリと変わりますが、天皇家も使用する家紋を、なぜ武田家も使用しているのか、です。
 武田家は、あまり知られていませんが、そのルーツを第56代清和天皇にして、そこから6代下った源(新羅三郎)義光を始祖とする、甲斐源氏(もっと元で言うと清和源氏・河内源氏)という戦国時代きっての由緒正しい家系です。
 ここでは、天皇家とは何者なのか?!、現代における天皇制度の可否などは、話が長くなるので触れません。もちろん、私は反対派です。しかしながら、ここまで家のルーツを遡れることだけでも、素晴らしい家柄だという証左ではないでしょうか。
 さらに言うと、この家系では常陸国の佐竹家、信濃国の小笠原家、南部家、または戦国時代の武田家ファンには馴染み深い、板垣、甘利、穴山、秋山、跡部などが派生します。
 何だ。。。結局、みんな遠い親戚なのでは?!
 しかも、義光は頼義の三男ですが、この長男である八幡太郎義家の子孫には、足利尊氏や源頼朝がいます。
 当時としては、とんでもない高貴な家柄だったと言っても過言ではないでしょう(*天皇家が高貴なのかどうかという議論については、上記と同じ。)。
 ですから、当時「流行り」の家紋を、しかも天皇家が使用する家紋を、堂々と使用できたのには、理由があったということです。

記事:ロートアイアンデザイナーT