ある週末の慶應義塾大学、日吉キャンパスに想う

#慶應義塾 #日吉キャンパス #ゲート #ロートアイアン

 ヒヨウラ(=日吉の裏側、慶應大学から見たら駅の反対側という意味で、きっと慶應の学生しか言っていないと思います。)にお客様がいらっしゃって、せっかくの機会なので、久しぶりに私の出身の慶應義塾大学・高校の日吉キャンパスを正面から眺めてきました。
 高校から数えて5年間も通ったキャンパスですが、卒業してしまえば、よほど特段の用事が無ければ、綱島街道を通ることも無ければ、東急東横線に乗って日吉駅で降りることもないですものね。
 在学当時は、自分がロートアイアンデザイナーに、もっと広く言えばヨーロッパのラグジュアリーな空間を実現するためのサービスを提供する者になるとは、夢にも思っていませんでした。
 いえ、それどころか、今から思えば、何の社会経験も、実績も、実力も、世界に対する知見も何もない、ただの未熟で生意気な学生でしかありませんでした。
 それが今、日吉キャンパスを見て、ぱっと見の印象でしかありませんが、銀杏並木が、相変わらず美しい、それしか思いません。それ以外は、何か無味乾燥なモダンデザインの建物が増えたなあ。。。そんなところでしょうか。そう考えると、昔から、日吉キャンパスを建築として思い出すことは、一切無かったように思います。
 日本の縮図な感じ。はっきり言えば、デザイン的には、ちょっと酷い気がします。
 慶應義塾の目的だったはずの、「気品の泉源、知徳の模範」は、どこへ行ってしまったのやら。。。

 そんな訳で、在学中は一度も調べもしなかった日吉キャンパスの歴史(っと言いますか、東急電鉄と日吉の歴史)をググってしまいました。
 かの広大な敷地は1929年に東急電鉄から寄贈され(まあ当時は何もないド田舎だったでしょうが)、1934年にキャンパスとして移転してきたそうです。
 東急電鉄も今の輝かしいポジションとはかけ離れた状況だったでしょうし、「慶應を誘致してブランド力を上げよう」的に、車両先頭には慶應のエンブレムを付けて走っていたと聞かされた遠い記憶があります。
 
 何が言いたいのかですが、その当時に、ヨーロッパ風の並木道をセンターに通し、それに沿って建物を建てたということは、多分にヨーロッパを意識したデザインだったと考えるのが常識だと思います。
 そして、本家本元のヨーロッパのデザインをより精緻に再現しようとしたならば、正面入り口には、立派なロートアイアンのゲート(門扉・門)が来るべきなのではないでしょうか。
 ハーバード大学(アメリカ)などの世界トップの大学を倣うまでもなく、それがヨーロッパのデザインの定石であると考えるからです。
 
 私が、日吉キャンパスを見て、相当に物足りなさを感じていた最大の要因は、正面入り口に立派なロートアイアンのゲート(門扉・門)が無かったからでした。
 「分け隔てなく世界に門戸を開くためにゲート(門扉・門)は付けなかった」的な詭弁を弄する人がいるのかも知れませんが。。。いやいや、ソコ?!っとツッコみたいですね。
 私はロートアイアンデザイナーですから、その本分を十分に発揮して、世界に羽ばたく慶應義塾のシンボルたらんロートアイアンのゲート(門扉・門)を、勝手にデザインしてみようかしら。

 蛇足ですが。。。私どもがロートアイアンを製作しているアジア諸国(ベトナム)では、慶應義塾など誰も知らないです。。。これもかなり悲しかった事実のひとつとして(苦笑

 以上、あくまで私見です。

 記事:ロートアイアンデザイナーT