ロートアイアンについては、まだまだ語りたいことが多くありますが、この辺りで先に、ロートアイアンによってどのような製作品が製作できるのか、実に様々なバリエーションをご紹介していきます。
それぞれに役割があり、使用箇所も異なりますが、効果的に使うことによって、または異なるアイテムであってもデザインのベースを揃えたりすることで、より大きく、より広く、より豪華に、様々な効果を演出できるのも、デザインの妙味です。
トップページの繰り返しになりますが、最も重要なことですから、要点だけ再確認しておきましょう。人生において、最もお金をかけ、最も長い時間を過ごすご自身の邸宅や別荘・店舗だからこそ、「カッコいい!」「おしゃれ!」「素敵!」と常に思えて、満足、いえ、感動できたら、最高ではありませんか?
それでは、その実現のために、実際にひとつずつおしゃれでカッコいいヨーロッパの空間を実現していきましょう。
おしゃれでカッコいいヨーロッパの空間の実現のために必要なアイテムとして、ロートアイアン、ステンドグラス、大理石、石材、開口部の装飾、家具・照明器具などのインテリア、等々・・・。そこで、中でも最も見映えがして、そのコストパフォーマンスが最も高いアイテムを一つ挙げさせてもらうとすれば、それはロートアイアンだと結論付けました。
なぜでしょうか?まずは単純に、目に入る表面積が大きい(=最も目立つアイテム)ことです。ロートアイアンによる各種製作品で代表的なものは、まずエントランス出入り口にある大きな車用ゲート、人の出入り口にある大きな門扉、外部と敷地を仕切るフェンス、等々・・・。これらだけでも、あらゆる建材の中でも上から数えた方が早い大きさです。
しかも、このページトップの画像のゲートや、直上のヴィラのゲートは、文字通り世界トップクラスのものだったとしても、あらゆる邸宅や別荘・店舗を訪れる方にとって、ゲートや門扉、フェンスなどは、一番最初に目に入る(=第一印象を決めるアイテム)ものになります。つまり、邸宅や別荘・店舗にとって一番の「顔」となるもので、これらが全体の第一印象を決めてしまうと言っても過言ではありません。
まさにこれだけでも、一番最初に採用するべき、最も重要なアイテムだと思いませんか?
もちろん、「コストパフォーマンス」に優れている(=コストが安い)ことが大切である点も、この後でお話させていただきます。
下記のロートアイアンの由来、歴史、文化などについて、是非とも最初に読んでいただきたいところですが、これらを紐解いて明らかになったロートアイアンの特徴を、先に要点としてまとめます。
①ロートアイアンの本家・本元(本場)は、ヨーロッパです。
②材料である「鉄」の発見も、鉄器時代の始まりも、現代に繋がる製法の発明と産業革命も、すべてヨーロッパ由来のものであるほどです。
③ロートアイアンは、手作業であったが故に、すべての製作品がオリジナルデザインでハンドメイドされており、一品製作のユニーク性が宿っています。
④だからこそ、物に愛着が沸き、長年に渡って大切に使い、代々受け継いでいくヨーロッパの素晴らしい文化が育まれたのではないかと思っています。
⑤同じように職人・技術・芸術・文化に対する尊敬の念も加わり、ロートアイアンや、ステンドグラス、大理石の彫刻、金銀青銅などの彫金・彫刻、石材の加工、タイル、家具、絵画など、ヨーロッパの美しい建築物を形成する各種アイテムが、それぞれ芸術の域にまで達していったのではないでしょうか。
⑥世界一美しいとされるヨーロッパの街並みは、もちろん芸術品の域にまで達したロートアイアンもその形成に大きな役割を担ってきました。
⑦「装飾」とは、外面をつくろう美術などではなくて、ひとつの文化の根底にある思想や情念や美意識を、切り詰めた色と形の小宇宙に込めて表現する装置でした。
そして、ロートアイアンなどの重要なアイテムが織りなすものが、ヨーロッパの美しい建築物(過程と結果を逆に考えていますが)ですし、その美しい建築物群が世界一美しいとされるヨーロッパの街並みを形成しています。
まさに、トップページや上記などで再三申し上げている、ご自身の邸宅や別荘・店舗を、「カッコいい!」「おしゃれ!」「素敵!」と常に思えて、満足、いえ、感動できるようにするためには、どうしたら良いのでしょうか?その答えとして、10個ほど重要なアイテムを挙げさせていただきましたが、それらのアイテムと、歴史・文化などを紐解いた中で上記の⑤番で列挙している職人・工手達が全く同じであることは、当然の帰結なのです。
つまりロートアイアンなどの重要なアイテムは、ヨーロッパの歴史、文化、芸術、技術、思想などが高度に織りなして完成した結晶のようなものですから、おしゃれでカッコいいヨーロッパの空間を実現するためには、なるべくヨーロッパの本物を、もしくは少しでも本物に近づけるような工夫をしましょう、という訳です。
反対に、下記「ロートアイアンとは何か?」に記述しましたのでここでは細かく触れませんが、日本のように、せっかくロートアイアンが伝わってきても普及しなかった大きな原因は、これを何とか真似しようとして、大規模アルミメーカーによって似せた製品が大量に供給され、ハウスメーカーとセットになって市場を席巻してしまったことではないかと思っています。この工夫は悪手であって、ここまで紐解いてきた、ヨーロッパの、ロートアイアンの歴史、文化、芸術、技術、思想などに、ことごとく反しています。
日本は、ロートアイアンの世界では、残念ながら後進国です。それを、日本で製作させる(する)ことに、こだわる意味はほとんどないと思います。それでなくても日本は、高い人件費と高齢化、職人不足によって、ロートアイアンに限らず、モノづくりには非常に厳しい国になりつつあります。
フランスやイタリアなど本場ヨーロッパのロートアイアン工房に製作を依頼するのが、最も理想に近いのは間違いありません。まさに、本物ですから。
しかし、ここで一つ問題が生じます。現代のロートアイアンの製作工程は、多かれ少なかれ、鋳造技術や溶接技術の発展によって、以前のようにすべて手作業で製作されていた時とは異なり、人工・期間はかなり減ったとは思いますが、それでも工場ラインに乗せて全自動で代替されるような工程は無く、やはり手工業的な要素の強いものです。
*ここでは、すべてを手作業でやるのが本物だ、などという無意味な議論は避けます。そこに本質的な意味は感じません。
つまり、ロートアイアンの製作工程は、人件費が大きなウェートを占めるものだと言い換えられます。それなのに、世界で一番人件費が高いヨーロッパで製作したら、いったい、いくら必要なのか!そのことです。
さらに、ロートアイアンによる各種製作品は、ほとんどの物が航空便では運べない大きさと重さです。地球の裏側から、はるばるコンテナ船でやってくるにも、また、いったい、いくら必要なのか!しかも何か月かかるのか?という問題も加わります。
もっと言えば、ほとんどがフルオーダーメイドのものです。日本人同士でさえ、デザインのやり取りから、図面作成、製作工程のチェックなど、かなり専門的で細かく多くのやり取りが必要ですが、そもそもそれをすべて英語でこなせる日本人など、ほとんど皆無でしょう。日常会話レベルでは、全く歯が立たないのですから。ヨーロッパの工房はいずれも小規模な家内工業ですから、フランスの工房であれば現地フランス語、イタリアの工房であれば現地イタリア語と、さらにハードルは上がります。
ここまで来ると、フランスやイタリアなど本場ヨーロッパのロートアイアン工房に製作を依頼するのは、どう考えても、無理筋です。私は以前、1組のお客様だけ、イタリアの工房に依頼されていた方を存じ上げていますが、意味不明な金額でした。
ここで、私どもはアジア圏であることを生かした、次善の策をご提案します。それが、「旧フランス領インドシナ諸国」です。具体的には、ベトナム、カンボジア、ラオスの3か国を指します。
この内、ベトナムで言いますと、1887年~1954年の実に67年間にも及ぶフランスによる植民地支配下で(全土ではなく、各地域も全期間ではないですが)、これだけ長期間の支配となりますと本土からフランス人達が現地に駐留する必要があり、そのための庁舎や住宅、街を建設、または道路や鉄道、港湾などのインフラを整備し、これらは当然フランス形式でした。現在でもその多くが遺されていて、ベトナムはさながらフランスの田舎町、っといった風情です。
ベトナムと一口に言っても、国土は日本と同じように南北に長いのですが、例えば経済発展著しい南部の最大都市ホーチミンであっても、上から中心部の人民委員会庁舎と、そのロートアイアン門扉でしたり、同じく中心部のマジェスティックホテルと、そのロートアイアン門扉でしたり、サイゴンオペラハウス、教会、その次からは個人住宅の門扉達をご紹介していますが、フランス時代のものがふんだんに保護され遺されていたり、新しい建物でもフランスを想ってある程度様式を踏襲していたりします。
フランスが遺していった、フランス人が植民地で出来うる限りフランス本国を想って、しかし安普請で建築せざるを得なかった「コロニアル建築様式」と、文字通り至るところにあるロートアイアンの各種製作品、フランスの街を思わせる街づくり(道路・歩道が広く、緑や公園が多いなど)などは、ベトナムが「東洋のパリ」と称される所以です。
これこそが、建築(当然ロートアイアンも含め)や街づくり、生活様式その他において、フランスから歴史・文化・技術・芸術などのエッセンスを直接受け継いだ証左なのです。まさに、本物に継ぐ次善の策、という訳です。
これだけロートアイアンが普及していますから、もちろん現地で製作する家内工業的な工場がたくさんあります。以下では、これら旧フランス領インドシナ諸国の現地工場でロートアイアン各種製作品を製作することでの、もう一つのメリットとも言える、コストの安さを追求できる理由を、ご紹介していきます。
前述しました通りロートアイアンは、人件費が大きなウェートを占める製作工程です。この面で、旧フランス領インドシナ諸国で製作することが、製品価格面で非常に大きく寄与します。
国税庁によると、2020年の日本人の平均給与額は、約433万円だったそうです。これを単純に12か月で割ると、約36万円/月になります。しかも、どの業界も若者の現場離れが進み、頼りのベテランは進む高齢化で慢性的な職人不足。ロートアイアンに限らず、日本のモノづくりは危機的状況です。
これに対して、旧フランス領インドシナ諸国で言えば、最も経済発展しているベトナムですら、所説ありますが3万円~4万円/月とされています。何と、今でも1/9~1/12の低さです。
カンボジアやラオスは、ベトナムに比べて経済発展が1周遅れている国々ですから、当然もっと低いのです。
さらにコンテナ船輸送を考えましても、例えばベトナムは意外と近くて、船に載っている日数だけであれば7日間程度です。香港のすぐ先というイメージですから、この地理的な近さこそ、同じアジア圏であることの副次的なメリットになります。
メリットは他にもあります。例えばベトナムで言えば、国民の平均年齢は、何と約30歳という若さなのです!国民の約60%が30歳以下という人口構成ですから、労働者の確保には、何の心配もありません。
これだけのメリットを積み重ねたうえで、日本の既存ロートアイアン業界大手各社の約30%~50%OFF(当社調べ)という、かなり大きな価格メリットをご提供できるのです。
発展途上国特有の、品質管理に対する甘さや、スケジュールに対する甘さ(いずれも、国の発展度合いからすると、それがあちらの常識なのですが)を、私どもが口を出し手を出し、必要に応じて直接渡航したりで、彼らの不足分を可能な限りバックアップしていくのは当然のこととして、その若干の心配点を甘受しても余りあるより大きなメリットがあると、皆様にご判断いただけるものと思います。
そして、価格メリットが大きいことの、もう一つの側面があります。それは、逆説的ですが、金額が浮いた分で、さらに面積を大きくしたり、物量を増やしたり、パーツを太くしたり、装飾を増やしたりと、より「カッコいい!」「おしゃれ!」「素敵!」と常に思えて、満足、いえ、感動できるロートアイアンにブラッシュアップできる原資にもなるということです。費用をケチったのか、とても細くて装飾も疎なロートアイアン、いえ、もはやロートアイアンと呼べないようなものをよく見ます。あれでは、もはややらない方が良かったのではないかと思うくらい、チープさが前面に出てしまい、ロートアイアンが可哀そうで寂しくなります。
より多くのお客様に、この素晴らしいロートアイアンというアイテムを多用して、ラグジュアリーなヨーロッパの空間を実現していただきたいと思っています。
そもそも、ロートアイアンとは、何でしょうか?
英語で「Wrought(鍛造した) Iron(鉄)」「Iron Work」と呼ばれる建材の一般名詞で、欧米を始め、ヨーロッパ由来の世界中の国々では、とてもポピュラーな建材の総称です。
その名の通り、鍛鉄を小さなコークス炉で熱して、手作業で叩いたり、曲げたりして加工し、組み上げることで、ゲートや、門扉、扉、フェンス、面格子、フラワーボックス、キャノピー、手すりなどに、まさにハンドメイドで一品ずつ製作してきました。
日本にも鉄砲やキリスト教が伝来した安土桃山時代(戦国時代)か、最も遅くとも文明開化の明治時代には伝わってきていたものと推測されますが、現代に至るまで、何故かあまり普及していません。
逆に、ロートアイアンを何とか真似しようとして、大規模アルミメーカーによって似せた製品が大量に供給され、ハウスメーカーとセットになって市場を席巻してしまったために、本家本元のロートアイアンが普及しなかったとも考えらえれます。
似たようなケースで、日本では本物が普及せず、海外に行って本物を知ると逆に驚くことが、非常にたくさんあります。とても残念なことだと思いませんか?
せっかく真似するにしても、より本物に近付けること。それが、上記の例のような失敗をせず、ご自身の邸宅や別荘・店舗を、「カッコいい!」「おしゃれ!」「素敵!」と常に思えて、満足、いえ、感動できるところまで昇華させる秘訣です。
そのためにはヨーロッパの建築史を、より深く、歴史的、文化的な深淵まで掘り下げて理解する必要がありそうです。
ロートアイアンの歴史・文化①
人類史上最大の発見、「火」と「鉄」
人類の初期、道具といえば、身近にあった木材や骨、貝殻だったことでしょう。それが石を加工して使う石器時代を迎えるのは、自然の営みとして想像に難くありません。いえ、それであっても、飛躍的な進歩だったかと思います。
しかしながら、例えそれが偶然の産物だったであろうとは言え、壮大な試行錯誤の末に、融点の低い銅とスズの合金(=青銅)を発見し、これを溶かして様々な道具を鋳造し始めた金属加工との出会いたるや、人類にとってどれだけ大きなことだったでしょう!
所説あるようですが、メソポタミアやエジプト、中国などで紀元前3000年頃から始まったこの青銅器時代では、飛躍的な道具の進歩によって、急激に社会、文化の発展が成し遂げられたそうです。この時期に文字が発明され、文明が興り、都市が形成され、国家の初期的な姿が現れていきます。
やがて紀元前1300年頃になると、史上最初に出現したインド・ヨーロッパ語族の一派ヒッタイト帝国によって、鉄鉱石から鉄器を生産する手掛かりを見出され、そしてそれを国家の基盤となる基礎技術にまで高められたのが、鉄器時代の始まりだったそうです。
「鉄は国家なり」と現代に至るまで各種産業の最重要な基盤となり続けている「鉄」ですから、人類に与えたインパクトは、青銅器時代の発見のそれとは、比べようがないくらい大きなものだったはずです。その起源は何と3300年前とは!何も無いその時代に、融点1500度以上の鉄を溶かして、青銅器に代替する道具の製作方法を編み出し、天地創造にも匹敵しそうな激しい進歩を遂げたかと思うと、その壮大な歴史ロマンに、もはや感動すら覚えてしまいます。
蛇足ですが、自然界には純粋な「鉄」は存在せず、すべて酸化鉄です。ここから炭素還元法で鉄を精製する場合、融点(1536度)まで高温を出力する必要はなく、950度あれば純度の高い鉄が精製できるそうです。ただし、鉄器時代にはこれほど高い技術は存在しなかったのに加え、現代に通じるコークス製鉄法が発明されるには、18世紀まで待たなければなりません。それまでは木炭が原料だったのですが、初期段階の還元反応であれば、200~400度あれば下限の反応は得られるそうです。当然、この段階ではとても不純物の多い鉄ですから、現代のものとは比べ物にならないくらい、サビやすかったり、もろかったり、いろいろ大変だったと想像できます。しかしながら、代替品が多くある現代に比べて、他に何もない時代には、これ一択だった訳ですから、精度など全く気にもならず、手放しで大歓迎だったはずです。
そのコークス製鉄法の発明に関しては、1709年にイギリスのエイブラハム・ダービー1世がコークス(石炭)製鉄法を開始、1735念にその子エイブラハム・ダービー2世がその技法を完成させて事業を成功させ、現代の製鉄技術の基礎を築いたそうです。二人はイギリス産業革命を推進し、現代に続く工業化社会の基盤を確立させたのです。
こうやって歴史を紐解いてきますと、最初に鉄を発見し、初期の鉄器製作方法を確立、鉄器時代の礎を築いたのは、インド・ヨーロッパ語族の一派ヒッタイト帝国でした。さらに18世紀になって現代に続くコークス製鉄法を発明し、イギリス産業革命を推進、工業化社会の基盤を確立させたのも、ヨーロッパでした。
まさに、鉄(鉄製品群)は、ヨーロッパと共に歩んできたようなものです。鉄製品群の一種であるロートアイアンにおいても、本家・本場がヨーロッパであることは、このことと密接に関係しているものと推測できます。
さらに蛇足ですが、上記で「自然界には純粋な鉄は存在せず、すべて酸化鉄である」と記述しました。これは何を意味しているのか、ですが、ざっくり結論付けますと、「酸化鉄=サビ」です。鉄は、自然現象として、絶対にサビるということです。これを極力抑えるために、外界の環境に出来るだけ触れないようメッキ処理をしてみたり、塗装処理をしてみたり、いろいろ対策をしている訳ですが、自然現象には絶対に逆らえません。鉄はサビるものだという共通認識の元に、それを経年劣化と考えるのではなくて、経年美と考える。上塗り処理を重ねることも、また味だと考える。そうやって千数百年もの歴史と文化を育んできた、ヨーロッパの本物のロートアイアンのことを、思いたいものです。
ロートアイアンの歴史・文化②
ヨーロッパで芸術まで昇華したロートアイアン
一般的に知られている歴史観として、ヨーロッパから中東・エジプトに至るまでは、大きくは大陸続きであったことから、太古の昔から勃興しては滅びる大きな帝国による侵略や、隣国同士の戦乱の歴史でした。そこがまず、日本とは人種うんぬんの前に、歴史観や文化観、社会観、とにかくあらゆる価値観が大きく異なる原因だと思います。この戦乱のたびに、人や物資、技術の移転が興ります。これが、あらゆる人や物資、技術が徐々に世界中に伝播していくメカニズムだと言っても過言ではないでしょう。
それを大前提として頭に置きつつ、ヨーロッパの建築史を紐解いていきますと、建築におけるロートアイアンの最初のターニングポイントは、古代ローマ建築(紀元前8世紀~紀元5世紀頃)だったように思います。ローマ建築が我々にまず教えてくれることは、建築というものが単に壁、柱、屋根などから生み出されるだけのものではなく、それらによって生まれた空間そのものをつくりだす芸術をも指すことです。この時代には、あらゆるタイプの建物が建てられ、あらゆるバリエーションが試みられました。しかし、だからと言ってこの百花繚乱的多様性は、混沌に陥っていた訳ではありません。そこには軸線構成などの明確な構成力が働き、様々な建築要素を統合して、ひとつの建築にまとめあげられていました。つまり、この多用なものを併存させていく寛容さ、そしてその多様性を統合する強固な構成力こそが、建築におけるローマ性と呼べると思います。
なお、大英博物館には、ロートアイアンの初期的な姿として、この時代の窓格子が所蔵・展示されています。最も古い方を取れば、約2700年前には最初のロートアイアン製作品が世の中に登場したことが、その現物で証明できるのです!よくぞそんな物を保存してくれているものだと、大英博物館・関係者の皆さんには多大な感謝しなければなりません。
蛇足ですが、大英博物館も素晴らしい建築物ですが、イギリスには、他にも歴史ある美しい建築物が、とてもたくさん遺されています(その多くが今も現役で活用されています)。ロートアイアン各種製作品は、建築物に付随するものが多い訳ですから、同じくその多くが遺されています。
これは何もイギリスに限ったことではなく、ヨーロッパ諸国共通で、歴史ある建築物が丁寧に遺され、市民の多大な献身によって維持・管理され、また今でも現役で活用されています。これはヨーロッパのとても優れた文化の一部であり、このことが、ヨーロッパの街並みを世界で一番美しく保ち、芸術性を高め、世界一のデザイン性を培っている主因だと思います。
ロートアイアンの分野においては、その美しさ、芸術性が最も昇華したのは、フランスやイタリアであると感じています。ただし、これは国民性などによりますし、かなり好みが別れる分野でしょうから、皆さんがそれぞれにご自身の好みに照らし合わせつつ、気に入ったデザインを見つけて、それらをご自身の邸宅や店舗・別荘にしつらえるロートアイアン各種製作品に取り入れていければ、そんなに最高なことはありません。
ちなみに前述のイギリスにおいて、ロートアイアンが特に美しいのは、バッキンガム宮殿、ケンジントン宮殿、ウェストミンスター寺院などが代表的です。いずれも直上の写真のものですが、まさに世界を代表するロートアイアン製作品と言えます。ざっくりとした印象論ですが、より美しく、華美で、気品に溢れ、瀟洒で、芸術的なデザインの方向性に強く進化したのが、フランスやイタリアであったとすると、イギリスはそれよりは伝統と格式を重んじたデザインの方向性に寄っているように感じます。まさに他の分野においても、「ブリティッシュデザイン」と総称されている方向性に沿っているかのようです。
さて、話を戻します。ヨーロッパの建築史において、特にロートアイアンの分野で次に大きな変化が興ったのは、12世紀半ばから、パリを中心に形成された新しい建築様式、ゴシック建築でした。大都市のキリスト教会において、最も典型的な特徴を表現することになりました。司教、修道院長、そして教会参事会などのそうそうたるメンバーのための建築であり、天空を仰ぎ、手を広げて光と色の織りなす透明性の祈りを行うのにふさわしい建築空間が、そこに誕生したのです。
この建築のために、各地において、石工、聖像彫刻師、画家、金銀細工師、ステンドグラス職人など、とくかく当時の最高の職人達が集められ、芸術作品としての教会がつくりあげられました。
ロートアイアンが単に機能を満たすパーツとして以上に、芸術品として昇華し、上記のように様々な分野の、当時最高の職人達とともに名と連ねていたのも、この頃からと推定されます。
15世紀~17世紀に興ったルネッサンス時代に入りますと、鉄は建築の領域でますます本格的に用いられるようになります。教会のインテリアや装飾にもロートアイアン製作品が多用され、16世紀から18世紀にかけては、次々と新しい建築様式が重ねられていくなかで、ロートアイアンの世界でもまた、様々なスタイルが生まれ、その手工芸技術は高度に発達していったのです。
1930年代のアールデコの時代までは、まだこの伝統は明らかに受け継がれていました。こうした芸術的、装飾的な建築エレメントの本質は、それが工芸的(=一品製作のオリジナル性、ハンドメイド的な要素が強い)であるということです。
当然のことながら、工業化社会以前は、すべての物は手工業で造られていました。すべての物は、ある意味オリジナルデザインでハンドメイドされており、故にすべての物には一品製作のユニーク性が宿っていました。だからこそ、物に愛着が沸き、長年に渡って大切に使い、代々受け継いでいく文化が育まれたのではないかと思っています。オリジナリティが失われた規格品を、大量生産、大量消費することに慣れてしまい、物を大切にする想いを、歴史を、文化を失った現代人に対するアンチテーゼに感じますよね。
特に優れた職人達の工房で生み出された物の中には、芸術品として評価されるところまで高められた物までありました。現代を生きる私達が、単純に美的感覚として、または文化的、歴史的な価値を感じるのには、現代的価値観で見てもなお、これらに優れた工芸的技術と高い芸術性を認めるからに他なりません。
英語のArtという言葉は元来、技術、技巧、熟練などを意味し、日本語で認識されているところの美術、芸術といった言葉よりも、もっと広い意味を持っています。今日でもDecorative Art、Art et Decorationなどの言い方が汎用されているように、これは現代の芸術の観念が未だ確立していなかったずっと以前から、一般的な認識だったようです。
ここまで、ロートアイアンの歴史・文化を紐解いてきて、ロートアイアンの特徴がより明らかになってきたと思いますので、改めてまとめてみます。
まず、ロートアイアンの本家本元(本場)は、その材料である鉄の紀元から含めて、あらゆる点でヨーロッパであるということが理解できました。その積み重ねてきた歴史と文化、技術の結晶が、現存する美しいロートアイアン製作品達である、という訳です。
ヨーロッパの美しい建築群と、これらを何代にも渡って維持管理し続けているヨーロッパの素晴らしい文化、歴史、そのすべての事象が織りなした結果である世界一美しいとされる街並みは、もちろん芸術品の域にまで達したロートアイアンもその形成に大きな役割を担ったのです。
その歴史と伝統の中で、工業化が進む遥か以前から工房で手工業的に育まれてきた職人による手作業の技術力と、それが突き詰められて芸術品の域にまで昇華してきたロートアイアンは、手作業であったが故に、すべての製作品がオリジナルデザインでハンドメイドされており、一品製作のユニーク性が宿っていました。
だからこそ、物に愛着が沸き、長年に渡って大切に使い、代々受け継いでいく文化が育まれたのではないかと思っています。また、同じように職人・技術・芸術・文化に対する尊敬の念も加わり、ロートアイアンや、ステンドグラス、大理石の彫刻、金銀青銅などの彫金・彫刻、石材の加工、タイル、家具、絵画などヨーロッパの美しい建築物を形成する各種アイテムが、それぞれ芸術の域にまで達していったのではないでしょうか。
ロートアイアンの歴史・文化③
文様学からのアプローチ
さて、ロートアイアンの世界観の深層を理解するのに、もう一つ大切なファクターがあります。それは、とても美しいロートアイアンの、高いデザイン性のルーツについてです。なぜ、ロートアイアンの各種製作品には、草花や動物をモチーフにした装飾が多いのでしょうか?
「飾り」や「装飾」のことを、英語では「デコレーション」とか「オーナメント」といいますが、建築や家具に立体的に施されたり、壁紙や衣服やカーペットやポスターなどの平面にあしらわれる、個々の装飾的な衣装やモチーフのことは「オーナメント」といいます。「オーナメント」は「装飾」「意匠」「文様」などの意味を含みます。ラテン語の名詞「オルナートゥス(秩序・調い・装備)」を語源とし、さらにギリシア語の「宇宙・秩序」に遡る重要な言葉です。
「装飾・文様」の美術が、建築や工芸などを装飾するとき、単に表面を調える飾りを超えて、人間の歴史の起源を、強烈に物語る美的な装置となっていると言えるのです。
いつの時代にあっても、過去の歴史を知ろうという情熱をもつ私たち人間は、この「装飾・文様」を手掛かりに過去に潜入し、それを再現することで、現在の自分たちにとっての理想とする時代や、美的と思われる様式を生んだ精神を、なんども呼び戻してきました。
ペンザンスの港町の人々が、遥かなる「東方(オリエント)」の文明の神秘を、あの「睡蓮(ロータス)」や「象形文字」で表象したように、たとえば18世紀のゲーテはポンペイの壁の「蔓草文様」に、古代ローマを夢想しました。あるいはあのゴシック・リヴァイヴァルの典型であるイギリス国会議事堂をデザインしたピュージンは、「尖塔のアーチ」に中世の敬虔な信仰心の復活を託し、あるいはまた画家クリムトは、「モザイク」の装飾文様を取り入れて、ウィーンの人々に遠い「ビサンチン世界」を思い起こさせました。
私たち日本人も、「縄文土器」の文様に1万年前の列島の精神文化を読み取ろうとしていますし、琳派の意匠を手掛かりに近世日本の大胆な美的感覚や国際性に触れているのです。このように、「装飾・文様」という美術は、「過去」の歴史を、繰り返し「現在」へと蘇らせる働きを持っているのです。
「装飾・文様」には、それを生んだ人々のさまざまな「世界観」や「自然観」や「死生観」などが、折り畳まれています。正確にいえば、歴史のこちら側にいる私たちが、それらの想念を、「装飾・文様」を見る(視覚する)ことによって直観させられている、ということです。「装飾・文様」の探究の愉しみは、まさにここにあります。
古来人間によって表現されてきた、この「装飾・文様」は、気まぐれな趣味の飾りではありません。それは神殿や宗教的儀式の場から日常空間までを飾り、司祭や王や騎士や貴婦人の衣装や甲冑を美的に意味づけました。あるいは聖書の写本や、書物の扉を縁取り、生活の用具の上にも施されていたものです。
「装飾・文様」は、単なる思いつきの埋め草なのではなく、ひとつの文明や民族、そして時代の「精神文化」を物語る徴だったのです。つまり「装飾」とは、外面をつくろう美術などではなくて、ひとつの文化の根底にある思想や情念や美意識を、切り詰めた色と形の小宇宙に込めて表現する装置なのです。
人間は、真剣に自分の身を飾るように、自分たちの時代や社会の思想や想念を、「装飾」の中に残しました。皆さんが美術館や博物館で、古代や中世やその他の時代の歴史的な美術品や建築を見るとき、それを直観させられているはずです。
そうした「装飾・文様」に託された彼らの思想や想念は、ひとつの表現の性格を持っています。それは現実に生きる人間が創案したものでありながら、つねに「人間や現実を超えたなにか」を表現しようとしていることです。人間を超越した存在である「神々」。現実を超えた空間である「異境」。現在を超えた時間である「いまではないいつか」。人間ではない生物としての「動植物」。その幻想形である「怪物」。この世には存在しない形である「純粋な抽象」。これらは世界中の「装飾・文様」に見られる普遍な表現です。
「オーナメンタルな想像力」は、どうやらいつでも「ここにないもの」、「ここではないどこかにある存在」を呼び出そうとする人間の心が旺盛につくりあげてきたものであるように思います。
人間は有限の存在であるゆえに、それを「超えた」無限に憧れ、いつも「あちら側へ」抜け出ようとします。人間が望み憧れる「無限」とは、物理的な果てしなさのことではなく、永遠の命や不変の幸福のことでしょう。しかしそれが不可能であることを人間は苦味として知っているばかりでなく、それゆえに夢みる力の醍醐味を創り出したのです。
いわば人間の人間たるところは、可能性と不可能性の、無限と有限の、私であるものと私でないものとの「はざま」を生きるスリリングな生きものであることを、自覚しているところにあるのでしょう。
「装飾・文様」という芸術が、スリリングで幻想的な姿をもっているのはそのためです。スリルや幻想とは、地上に足をつけて歩いていく運命を背負った人間たちこそが生み出せる芸術だったのです。
ペンザンスの異彩色の家は、イングランドの灰色の現実の通りにこそ「咲く」ことが可能なのです。地上から天上世界を語っているようにみえる「神話」が、じつは創造主や神々や英雄に託して地上の人間の「存在の根拠」や現実を定義する物語であるという性質をもっているように、この芸術も視覚芸術のなかに、さまざまな神話を物語っています。