家紋・ロゴ・エンブレム

エンブレム、家紋、イニシャル、ロゴなどをデザインに加え、
究極のオリジナリティと、他では得られない満足感を高める

 どうしたら、ご自身の邸宅や別荘、店舗などが、「カッコいい!」「おしゃれ!」「素敵!」と、常に感動できるようになるでしょうか?
 結論としては、唯一無二の感動的なデザインで、ゲート・門扉・門をフルオーダーメイドすることが、最も効果的です。
 その方法は、ロートアイアンがベストと結論します。
 このメインテーマは、トップページや、オーダーメイド門扉ページで語っているところですので、是非ご参照ください。

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 ここではさらに一歩進めて、ロートアイアンの本場ヨーロッパでは、ロートアイアンはどこにでもある一般的な建材ですから、究極の差別化として選ばれた方々が特別にしつらえているのは、ファミリーや会社、お店などを特別に表現する、紋章・家紋・ロゴ・イニシャルの類をエンブレムとしてデザインし、またはゲート・門扉・門そのものにデザインとして組み込むことです。
 この特別で唯一無二のデザインによって、文字通り他には無い、世界に一つだけの、究極のオジリナリティを表現し、特別感を演出し、他では決して得られない感動と、満足感を高められるのです。
 ここまで「こだわった」ロートアイアンのゲート・門扉・門であればこそ、いえ、すべてのシーンにおいて「こだわり」、「楽しみ」、「美しさを追求する」ことが文化となるまで昇華しているからこそ、ヨーロッパの街並みが世界中から憧れられるほど美しい、豊かさの神髄なのかも知れません。

家紋・ロゴ・エンブレムなど組み込んだデザイン例

  • 店舗ブランド名の頭文字「H」をデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、店舗ブランド名の頭文字「H」を、アールヌーボー調でフランスをイメージしたおしゃれな字体で、フレームごとダイナミックに曲げて扉いっぱいにデザインすることで、他では見ることの出来ない唯一無二のオリジナリティあふれた世界観を演出しています。

    豊かな葉の装飾に彩られたトップエンブレムも、クラウンを頂いてさらに豪華な印象を引き立てていますが、ここにも同じ字体で「H」が鎮座しています。

  • ファミリーのイニシャル「E」をデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、ファミリーのイニシャル「E」を、アールヌーボー調でフランスをイメージしたおしゃれな字体で、フレームごとダイナミックに曲げて扉いっぱいにデザインすることで、他では見ることの出来ない唯一無二のオリジナリティあふれた世界観を演出しています。

    豊かな葉の装飾に彩られたトップエンブレムも、クラウンを頂いてさらに豪華な印象を引き立てますが、ここにも同じ字体で「E」が鎮座しています。

  • ブリティッシュデザインの豪華なエンブレムをデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、ブリティッシュデザインの豪華なエンブレムを大胆にデザインしました。日本でこれほどの門扉を見ることは稀でしょう、まさに「おしゃれ!」「カッコいい!」「素敵!」を体現した、威風堂々とした素晴らしい仕上がりになりました。

    このエンブレムや、剣先・サークルの装飾に対して、特別仕様で金色の差し色を施しましたが、イエローゴールド系の明るく華やかな金色が、エンブレムの豪華さをより一層際立たせてくれています。

  • ブリティッシュデザインの豪華なエンブレムをデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、ブリティッシュデザインの豪華なエンブレムを大胆にデザインしました。日本でこれほどの門扉を見ることは稀でしょう、まさに「おしゃれ!」「カッコいい!」「素敵!」を体現した、威風堂々とした素晴らしい仕上がりになりました。

    このエンブレムと、剣先の装飾に対して、特別仕様で金色の差し色を施しましたが、ピンクゴールド系の落ち着いた金色が、エンブレムのトーンに大人な雰囲気をまとわせてくれています。

  • 日本伝統の家紋「丸に橘」紋をデザイン

    紋章としての「橘」は、飛鳥から奈良時代に、天武天皇をはじめ、持統、文武、元明、元正の5朝に使えた女官、橘三千代の子で、左大臣となった橘諸兄が、元明天皇より下賜されたことが「橘系図」に伝えられています。その伝承に基づいて、橘紋の使用家には、橘氏族が多いとされます。

    今回のロートアイアンの門扉には、この「丸に橘」紋をかなりデフォルメして大胆にデザインしたため、ご家族様にしかわからないかも知れませんが、それがかえって他では見ることの出来ない唯一無二のオリジナリティあふれた世界観を演出しているように思います。

  • 日本伝統の家紋「立ち葵」紋をデザイン

    家紋の葵は、ウマノスズク目カンアオイ科のフタバアオイを図案化したものとされ、徳川家の三つ葉葵の由来は、徳川氏の祖である親氏が、加茂朝臣を称した松平氏を継いだためといわれます。それ以前の室町時代の「見聞諸家紋」には、葵紋の使用家として「丹波之西田」が記されています。戦国時代には、三河の松平氏をはじめ、伊那、島田、本多の諸氏が用いました。なお加茂社に仕えた神官の出である本多氏は、江戸時代になって、葵紋が徳川一族だけに許された「御紋」となったとき、立ち葵(本多葵)の使用を許されたといいます。

    今回のロートアイアンの門扉には、トップエンブレムにこの「立ち葵」紋をかなりデフォルメしてデザインしたものを頂いているため、ご家族様にしかわからないかも知れませんが、それがかえって他では見ることの出来ない唯一無二のオリジナリティあふれた世界観を演出しているように思います。

  • 日本伝統の家紋「違い角丸」紋をデザイン

    紋章としての違い角丸紋は、バリエーションの多い輪違い紋の一種です。平安時代より用いられ、当時の人々から愛好され続けて、尚美的な意義により南北朝時代には家紋として使われています。特に、静岡、栃木、滋賀、兵庫、福岡などの地域に多いようです。

    今回のロートアイアンの巨大ゲートには、トップエンブレムにこの「違い角丸」紋をそのままの形状で戴冠しています。家紋は、日本伝統のファミリーを表すシンボルですから、こうしてエンブレムに組み込むのはロートアイアンの本場ヨーロッパの精神にも通じる、とても素敵な精神だと改めて再認識させられました。

  • 店舗のテーマを物語に仕立てたアートなデザイン

    このロートアイアンの巨大ゲートでは、店舗のテーマ「都会の中の豊かな森」にいざなわれた動物達が織りなすアートな世界観を、6連扉いっぱいにデザインしました。まさに、西麻布というセレブな街であっても、都会の喧騒をひと時忘れて森の中にいざなわれ、上質な時間を過ごしていただきたい、そんな店舗オーナー様の優しいお気持ちが伝わってくるようです。

    店舗のテーマを物語としてオリジナルデザインし、このプロジェクトの実現のためだけに、オリーブの葉や、実、ラベンダーの花や葉に至るまで特別に型から起こしてゼロから製作するという「こだわり」ようで、まさに世界に一つだけと呼ぶにふさわしい逸品に仕上がりました。

    これぞフルオーダーメイド・ハンドメイドの神髄、いえ、もはやロートアイアンの域を超えた新しい世界の誕生と言えるのではないでしょうか。

  • ファミリーゆかりの梅の花やつぼみをデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、ファミリーゆかりの梅の花やつぼみを、扉センターに大きく拡がるエンブレム風にデザインしました。もちろんヨーロッパ由来の建材であるロートアイアン伝統の世界観には、「梅」はありません。ですから、このプロジェクトの実現のためだけに梅の花びらや花弁などをゼロから全く新しく製作したものです。

    これぞフルオーダーメイド・ハンドメイドの神髄、いえ、もはやロートアイアンの本場ヨーロッパの域を超え、「和」デザインのロートアイアンという、全く新しい世界を切り拓く瞬間に立ち会えたのかも知れません。

  • 松竹梅をテーマにした見事な和洋折衷デザイン

    このロートアイアンの巨大ゲートでは、松竹梅をテーマにデザインし、松の葉や、竹林、ファミリーゆかりの梅の花やつぼみを、このプロジェクトの実現のためだけにゼロから全く新しく製作したものです。特に縦のフレームを竹林らしくするために丸いものにして、フシまで表現したことで、もはや本物かと思えるほどでしたが、そもそも丸いフレームのゲート・門扉・門など見たこともありませんから、かなりのチャレンジでした。

    これぞフルオーダーメイド・ハンドメイドの神髄、いえ、もはやロートアイアンの本場ヨーロッパの域を超え、「和」デザインのロートアイアンという、全く新しい世界を切り拓く瞬間に立ち会えたのかも知れません。

  • 会社のロゴマークを忠実にデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、会社のロゴマークを忠実に再現し、会社正面ゲートの中段のサークル装飾の中に仕込むことで、シンプルだったゲートのデザインに動きをもたらした他、その会社だけの、他では決して見ることが出来ない唯一無二のデザインに昇華しました。

    そこまで目立つものではありませんが、かなり手の込んだ装飾となっていて、これに気付いた時の感動と、この門扉・門・ゲートに対する思い入れの強さが一層高まります。

  • 幼稚園名の由来であるマメをデザイン

    このロートアイアンの門扉・門・ゲートでは、幼稚園名の由来であるマメをデザインし、かなり忠実に再現できたものと思います。もちろんロートアイアンの本場ヨーロッパにもマメはあると思いますが、これまで一度も見たことがありませんでした。そこで鉄板を切り抜いて、先の丸い工具を探してマメの形状に凹凸をつけ、両側から合わせた後、ヘタを取り付けるまで「こだわって」何度も試作を繰り返し、文字通りゼロから製作したものです。

    その苦労が実って、園児の皆さんや親御さん、幼稚園関係者の皆さんに喜んでいただけた時が、門扉・門・ゲートをフルオーダーメイド・ハンドメイドする一番の価値なのかも知れません。既製品の門扉・門・ゲートを見て喜ぶということはないでしょうから。

大病院グループのロゴをデザイン

家紋「違い角丸」デザイン

イニシャルの頭文字「H」デザイン

苗字の頭文字「蜂」デザイン

苗字の象徴「雀」デザイン

イニシャルの頭文字「M」デザイン

イエズス会の紋章デザイン

家紋「椿」デザイン

 この「家紋・ロゴ・エンブレム」の特集ページを新設するまで、日本にはこういったサービスは無かったように思います。
 そもそも、門扉・門・ゲートや、フェンス、面格子などを、フルオーダーメイドで、ハンドメイドするという発想も、文化も無かったからかも知れません。
 しかし、私どもがロートアイアン製作者として、門扉・門・ゲートや、フェンス、面格子などをフルオーダーメイドでハンドメイドしてご提供する中で、製作前にお客様とデザインを決める際、どんどん夢が膨らんで、オリジナリティ溢れる、お客様だけのデザインが具体的に絵として現れてきます。
 そしてその際、「せっかくですからお客様の、ご家族の、店舗のシンボルは何ですか?家紋などがあれば、デザインしてみませんか?」っと、投げ掛けるようにしています。
 その時のお客様のお顔の晴れようといいますか、驚きといいますか。。。何とも興味深い反応と共に、ほとんどのお客様がやってみたいとおっしゃるのです。
 ご自身、ご家族、ファミリー、店舗だけが持つシンボルを、未来永劫残したい、それは世界共通の想いなのかも知れませんね。
 そして、それが実現できるのが、フルオーダーメイド・ハンドメイドで門扉・門・ゲートやフェンス、面格子などを製作する最大のメリットの一つです。
 そうして出来上がったロートアイアンの各種製作品達を、上記で数多くご紹介させていただきました。
 今でも同時並行で、どんどん新しい家紋・ロゴ・エンブレムをデザインに組み込んだ各種製作品達が、デビューし続けています。
 皆さまも、是非!

本場ヨーロッパにおける、紋章、エンブレム、ロゴなどの実例

バッキンガム宮殿

ヴェルサイユ宮殿

マドリード宮殿

パリ市庁舎

エルミタージュ美術館

スペインの店舗

 以上は、いずれも世界に冠たるロートアイアンの門扉・門・ゲートをピックアップしていますので、家紋・ロゴ・イニシャル・エンブレム・紋章などをデザインに組み込んでいなくても、そもそも素晴らしい、おしゃれな、格式高い。。。いえ、いかなる形容詞を並べようとも表現し尽くすことが出来ないほどの秀逸なデザインであることは、疑いようがありません。
 残念ながら、ロートアイアン後進国の日本では、これらに匹敵する門扉・門・ゲートは見ることすら出来ません。
 しかしながら、ロートアイアンが常識のヨーロッパにあっては、これらの門扉・門・ゲートであっても、一番とは言えないのかも知れませんし、そこにしかないオリジナリティを表現しているとも言えないのでしょう。
 そこで何をしたのか、今回の命題である、ファミリーや会社、店舗に特有のものである、家紋・ロゴ・イニシャル・エンブレム・紋章などをデザインに組み込むことによって、文字通り他には無い、世界にただ一つだけの、究極のオリジナリティを表現し、特別感を演出し、他では得られない満足感を高めることに成功したのだと思います。
 そして、そのフルオーダーメイド・ハンドメイドされたロートアイアンの門扉・門・ゲートを含めて、邸宅や別荘、店舗そのものを何百年も大切に維持・管理し、何代も先の子孫に受け継いでいく、それこそがヨーロッパの邸宅・店舗のデザインが美しく、その集合体である街並みが美しい、まさに豊かさの神髄なのかも知れません。

 その優れた歴史の、文化の、芸術の、デザインの積み重ねには、一朝一夕で追い付くことは出来ません。しかし、日本にも同じような貴重な文化があるではありませんか。
 例えば国民的ドラマとでも言うべき水戸黄門で有名な徳川家の三つ葉葵紋や、現在パスポートの表紙に大きく表示されている日本国の菊紋、そう、家紋です。
 以下では、家紋について掘り下げていきます。

日本にもファミリーを表す優れた文化、家紋があります

日本の家紋大全
本田總一郎 監修
株式会社梧桐書院
2100円税別

日本の家紋と姓氏、伝統美と系譜
伊藤みろ 著
株式会社誠文堂新光社
1800円税別

 例えば国民的ドラマとでも言うべき水戸黄門で有名な徳川家の三つ葉葵紋や、現在パスポートの表紙に大きく表示されている日本国の菊紋を始め、歴史ファンであれば誰でも思い浮かぶ、豊臣家の桐紋、武田家の武田菱、真田家の六文銭。。。
 現代では国民全般に馴染み深いとは言えなくなってしまいましたが、日本の貴重な文化というべき家紋は、前述しましたヨーロッパにおけるエンブレム・紋章に匹敵するものだと思います。

 家紋については、書店に上記のような専門書が何冊も並んでいるように、まだまだ滅びゆく文化とまでは言えないようです。
 現在においても細々と生きながらえている、逆に言えば、家紋に興味を持っている人がまだ多いことの裏返しなのかも知れません。
 これらの専門書によれば、少なくとも紹介されている家紋だけで、241通り5116紋もあるそうです。
 日本人に特有の優れた精神である、「箱庭の文化」とでもいうべき、限られたスペースに小宇宙を表現することで、「家」「ファミリー」の未来永劫の繁栄と繋がりを希求した、家紋とはまさにその結晶なのではないでしょうか。
 家紋が、ロートアイアンの門扉・門・ゲートやフェンス、面格子などにデザインとして組み込まれたら、文字通り他には無い、世界にただ一つだけの、究極のオリジナリティを表現し、特別感を演出し、他では得られない満足感を高められます。
 そして、ファミリー・家のシンボルである家紋を頂いてフルオーダーメイド・ハンドメイドされたロートアイアンの門扉・門・ゲートなどが、邸宅や別荘、店舗と共に何百年も大切に維持・管理され、何代も先の子孫に受け継がれていけば、悲しいかな日本で失われつつある家制度・家族制度を大切にしてきた伝統を、改めて復興する一助になれるのかも知れません。

 以下は、これらの専門書から参照します。          

 家紋に、動植物や自然を図案化した家紋が多いということは、日本人が古代から自然と融合し、密接な関係を保ちながら生活を営み、文化を築いてきたという証でもあります。ことに「生命の源」といわれる稲作を、農業の柱として生きてきた日本人は、そこに「家」や「村」といった共同体社会を形成しました。
 家族全体で稲作を行い、村人の協力によって、農繁期を切り抜けるという集団作業は、そこに「家」という強い血縁共同体を生み、さらに「村」という運命を共にした地縁共同体が築かれました。古代の日本人は、家の中に祖霊を祀ってその加護を祈り、小高い山に氏神を祀って、五穀豊穣・除災招福を祈りました。
 日本の固有信仰の神道は、祖霊を祭り・神祭りを通して日本人の村落意識・民族意識といった「共同体意識」をひとつにまとめ上げる重要な役割を果たしました。仏教伝来後は、日本人の固有信仰に持つこの祖先崇拝の一部を受け継ぎ、祖先の霊を祀る仏壇を中心に「家」の考え方を維持する役割を果たしてきました。
 そこに平安時代から「家紋」という家族・同族の新しい象徴が登場したわけですが、その家紋に植物が圧倒的に多いのは、その血縁の人々の生まれた土地に自生した植物や、よく見られた自然の姿が、当初の家紋となったということでしょう。したがって、家紋は血縁の人々の産土の代表的な植物・自然であり、姓氏、あるいは地名と深い関連を持っていたといえます。
 家紋は、まさに祖先の「生命・霊魂」が込められた祖先崇拝の象徴であり、そこには、祖先の息吹きが漂い、血が流れているといえます。さらに氏神さま・仏壇と共に、家族・同族という血縁の人々が寄り集い、あるいは、血縁共同体であることを内外に示す大切な紋章であったといえましょう。
 この家紋を高く掲げて、人々は生活し、あるいは晴れの日を祝ったのです。また家紋の旗の下で、戦を繰り広げ、軍功を立て勝利を祝ったことでしょう。
 祖先から生命・霊魂を受け継いだ私たちは、さらに子孫にそれを伝えて、再び大地に帰って行くわけですが、1千年以上の長きにわたり家紋が果たしてきた役割は、まことに大きかったといえましょう。
 日本の家紋は、このように姓氏あるいは地名と密接な関係を持ちながら発達し、家族・同族のものが、家柄・家格あるいは本家分家・宗家と別家を表す表象として活用されました。
 平安時代・貴族社会の中で誕生した紋章は、特に9世紀初頭に「新撰姓氏録」が編纂されてから、各姓氏の家紋が登場しました。藤原氏を中心とした公卿・貴族たちは、朝廷に参内するために乗る牛車の屋形に文様を施し、これが鎌倉時代に家紋として定着したといわれます。源氏や平氏の武士たちの紋章も、旗や幕の印、また楯紋など戦場での目印に使われたものが、次第に家紋に転じ、武家社会では一族郎党という血縁共同体の統一と結合の象徴となりました。
 これが室町時代になると、公家・武家が家紋を乱用するようになり、15世紀後期の文明年間では他家の紋を勝手に使用することが禁止されています。
 江戸時代には、家紋は下級武士や町人まで使うようになり、さらに一般化し、冠婚葬祭という「晴れの行事」の中で、衣装から調度品まで「紋付」が幅をきかせています。
 明治時代になりますと、万民が苗字を許され、家紋が乱用される時代になりましたが、それは少しでも家族を立派にしよう、家柄を大切にしたい、あるいは新しい家族の象徴としたいという願望の表れだったともいえます。
 戦後、核家族化時代を迎えて家紋が地盤沈下した感もありますが、むしろ祖先の築いた文化の継承、さらに自分たちの存在価値を後世に伝える証として、家紋の役割が期待されます。

 出典「家紋大全、梧桐書院、本田總一郎監修」より