気付くと、また1ケ月以上もSNS関係の更新をサボってしまいました。。。
再び社会復帰したいと思います、よろしくお願いします!
さて、この間の最大のニュースと言えば、何と言っても私も母校である慶應義塾高校(塾高)の甲子園優勝、おめでとうございます!!
くだらないメディアやネット民などの、応援だの髪型だのに対する批判もようやく収まってきたところだと思いますが、そもそも、何を批判したいのかすら、わかりませんでしたね。
世の中、いえ、スポーツに限っても、フェアなことなんて、あるんですかね?
世界のメジャースポーツが総じてフェアじゃないことなんて、織り込み済みでしょう。そんなことを言っているから、日本人はトップ層に一人もいないのだと思います。
残念ですが、それが現実です。
ましてや、世界ではメジャースポーツとは言えない野球(騒いでいるのは日本だけでは?!)、そのローカルアマチュア版である高校野球が、長きに渡り思考停止していることに対して、挑戦し、打ち勝っていった塾高の選手・関係者様一同に対して、敬意を払うべきだと思いますし、OBとして最大限の祝辞を申し上げます。
そのうち、みんな頑張ったから、全校優勝にしましょう、とかホザきかねない輩に対して、そんな思考では近い将来滅びますよ、っという危機感の表れだったと思いますし、それを実現してくれた、と。
ただし。。。そのアマチュアスポーツの最大のジレンマとでも言いましょうか、スポーツ推薦の問題は、母校にもついてまわります。
なぜ107年ぶりの甲子園優勝だったか、それは長らく塾高がスポーツ推薦をして来なかったからでしょう。スポーツで高い才能・実績を出している人は、一般受験では慶應には入れません。
その長い伝統を転換し、スポーツ推薦を始めたのが2003年だそうです。今回の甲子園優勝は、20年越しの成果という言い方も出来ますが。。。
そもそも、慶應義塾が、スポーツでも勝つ必要性があるのでしょうか?
スポーツ全般で勝つことを要求され始めたら、全域で際限なく拡がってしまって、ついには学業がおろそかになり(まあ。。。その前からおそそかでしたが。。。(笑)、偏差値は下がり、そこら辺の高校と変わらないところまで落ちぶれるリスクは無いのかしら。
そんな禁断の果実にまで手を伸ばしたのは、この少子化、高齢化で、日本の未来が無さそうに見える時代にあって、慶應義塾ですら生き残り策に必死にならざるを得ないところまで来てるのかも知れませんね。
しかし、それを言い出したら、その悲壮さは、地方高校の方が深刻でしょうね。
仙台育英を始め、各地方に似たような状況の高校は、それこそたくさんあると思います。
仙台育英に至っては、今回、ベンチ入りの20人中、宮城県出身者はたったの5人しかいないそうではありませんか(テレビ中継中のコメント参照)。
くだらないメディアやネット民などは、勝者を批判する前に、そももそ高校野球の崩壊、地方の崩壊を憂いた方が、より建設的だと思います。
さて、急に話は変わりますが。。。107年ぶりの優勝、っと聞いて、単純にスゴい!っとならなかったお話です。
以前にも記事にしましたが、107年前に日吉キャンパスは無いでしょ?!、っと思ってしまった次第です。
かの広大な敷地は、1929年に東急電鉄から寄贈され、1934年にキャンパスとして移転してきたそうです。
東急電鉄も今の輝かしいポジションとはかけ離れた状況だったでしょうし、「慶應を誘致してブランド力を上げよう」的に、車両先頭には慶應のエンブレムを付けて走っていたと聞かされた遠い記憶があります。
その直後、GHQに司令部として接収され、慶應義塾高校として日吉に移転してきたのは、1949年だそうです。
画像は、慶應義塾福澤研究センターからお借りしましたが、何もないところに切り拓いた感じが、ありありと想像できる画像ですね。
坂道を登って右側が塾高です、ヒヨウラ(慶應と反対側の日吉商店街)もまだ何も無い(笑
記事:ロートアイアンデザイナーT